Strategy& 水素エコシステム実現への道筋 何が前進を妨げているのか、どうすれば加速することができるのか

日本への提言脱炭素は本当に来るのか多くの日本企業を悩ませている論点の一つが「脱炭素は本当に来るのか」だろう。「いつかは来ると思うが、いつ来るかが見えない」と悩んでいる企業もいる。COP（国連気候変動枠組条約締約国会議）や各国・地域の規制動向・企業動向など世界の潮流を踏まえれば「来る」と考えるのが妥当であると思いつつ、少なくとも現在の日本においては経済合理性を伴わないため、顧客がついてくるイメージを持てず、収益性を確保できるイメージも持てず、二の足を踏んでいる状況がある。この悩みは正しい。経済合理性を伴わないビジネスは成立しない。たとえどれほど環境に優しい商品やサービスであったとしても、経済合理性を伴わなければ持続性を欠き、結局社会にインパクトをもたらすことはできない。先行する欧州も当初の計画どおりに進捗していないのが実情である。その上で、日本企業は脱炭素が「来る」と認識し、目指すべき姿を見極め、適切な移行計画を立て、準備を進めておくべきである。IPCC AR6（気候変動に関する政府間パネル第6次評価報告書）が科学的根拠に基づき示したとおり、地球温暖化によるリスクは以前にも増して確信度が高いものになっている。それが明確に反証されない限り、国際社会が温室効果ガス対策を緩めることはない。また、日本は、法的拘束力のある温室効果ガス排出量削減目標を掲げるEUに対し、約10兆円の輸出、約50兆円の直接投資（残高ベース）を行っている。よって、欧州市場を捨てない限り、欧州の法規制に対応しなければならない。なお、温室効果ガス排出量はサプライチェーン全体（スコープ3）でカウントされるようになるのが世界の潮流のため、国内納入のサプライヤーも油断するべきではない。以上を踏まえれば、脱炭素は「来る」と認識し、対応を進めるべきである。重要なのは、移行計画にステージを設け、準備を進めつつ市場の規制動向／カーボンプライシング動向／補助金動向／インフラ整備状況／競争環境／顧客の受容動向などを踏まえて移行タイミングを見極めることだ。そうすることで、経済合理性のある事業を、計画性を持って、市場の形成に乗り遅れない形で構築することができるし、万が一の場合の撤退リスクを最小化することも可能だ。水素はどうすれば良いかそうしたなか、ここ数年注目を集めている「水素」も、関係各社を迷わせるテーマになっている。水素はもともと、石油精製（水素化脱硫等）、石油化学（樹脂生成時添加剤等）、肥料等用アンモニア（合成）、化成品等用メタノール（合成）、製鉄（光輝焼鈍用添加剤等）、半導体（雰囲気ガス等）など、幅広い産業分野で使用されている。しかし、従来の水素製造方法はCO²めには「グリーン水素（再生可能水素）」への置き換えが必要になる。―IPCC AR6の予測―IPCC AR6は、地球温暖化を産業革命以前の水準比で＋1.5℃に抑制するためには、これからの10年間に全ての部門において急速かつ大幅な、そして即時的な温室効果ガス排出量削減（2030年までに2019年比43％削減）が必要になると指摘している。また、確信度が高い予測として、オーバーシュートした場合は悪影響を伴い、その一部は不可逆なものであり、人間と自然のシステムにとって追加的なリスクをもたらすと指摘している。 Strategy&|水素エコシステム実現への道筋が発生する。よって、これらの産業が脱炭素を実現するた Strategy&|水素エコシステム実現への道筋水素はエネルギーの文脈で話題になる傾向があるが、こうしたエネルギー以外の需要が多分に存在することを常に念頭に置いておく必要がある。その上で、脱炭素社会においては、製鉄（水素還元製鉄／水素直接還元）、熱（天然ガス代替／コジェネ）、発電（水素発電／アンモニア発電／燃料電池）、燃料（合成燃料／水素エンジン）などの新たな水素需要が見込まれる。すなわち、脱炭素を実現するためには、相当量のグリーン水素が必要になり得る。グリーン水素の代替策ないし移行過渡期の解決策として、また、信頼性の高いベースロードの提供や少しでも安価なコストを実現するための解決策として、ブルー水素（低炭素水素）も考えられる。しかしながら、ブルー水素も依然として輸送やCCS／CCUS（炭素回収・利用・貯蔵）などの実力を見極める必要がある。例えば、日本にとってブルー水素は輸入が選択肢になり得るが、水素の輸送は、短距離の場合は水素の形でのパイプラインによる輸送が有利である。一方、生産拠点から2,300km以上離れる場合は、アンモニアの形での船舶による輸送が有利だと予想される。しかし、船舶での輸送については港湾のキャパシティおよびオペレーションに起因する非効率を考慮する必要があるし、陸揚げ後にアンモニアを分解して高純度の水素をコスト効率よく大量に取り出す技術を確立する必要がある。また、船舶での輸入への依存は、コロナ禍において顕在化したサプライチェーンリスクを抱え続けることにもなる。この辺りは、もともと地理的に天然ガスの輸入の多くをパイプラインで行えているEUと日本の環境差でもあり、考慮しなくてはならない。そうしたことを踏まえると、水素の検討をするのであれば、必ずグリーン水素も検討した方が良いだろう。国内、さらにはオンサイトでの純水生産／水電解によるグリーン水素生産も検討対象になり得る。国際社会においても電解キャパシティは継続的に増加し続けており、公表情報ベースでは今後も増加する見通しである。―水電解装置の公表されているステータス別容量推移―出所：IEA（2024）, Hydrogen Projects Databaseに基づくStrategy&による分析稼働中建設中／投資決定済みフィジビリティスタディ中コンセプト段階他20210100200300400500（GW）2030（年）16.8210.4284.2512.720291.316.7151.3165.7335.020281.316.7137.1108.7263.920271.316.088.454.8160.620261.312.154.314.882.520241.32.81.50.15.720231.1202２0.60.420251.37.722.66.638.11.3 国や企業が取り組むべきことしかし、実際は、グリーン水素もブルー水素も、先行企業が取り組みを進めているものの、コスト高やインフラ未整備などの問題により本格展開の見通しが立っていない。本レポートは、そうした状況に対し、各国・地域の状況を分析することで、国や企業がどのようなアクションをとるべきかを考察している。総合的に見て先行しているのはEUであるが、EU以外の国や地域もそれぞれの状況に合わせたなんらかの取り組みを進めている。また、EUも決して順調には進捗しておらず、むしろ苦労しており、その苦労を踏まえて有効な解決策を模索している。そうした模索およびその解決策は、日本や日本企業にとって大いに参考になるだろう。結局のところ、グリーン水素もブルー水素も、従来の水素や化石燃料に比してコスト高であることが最大のボトルネックになっている。コスト高ゆえにオフテイカーが採用に至らず産業として成長しない。そして、オフテイカーが増えなければ生産量が増えないためコストが下がらずオフテイカーが増えない悪循環に陥っている。よって、脱炭素社会、すなわちグリーン水素やブルー水素が利用される社会へ移行するためには、コスト高の障壁を超える強制力のある法規制（輸出先国や進出先国における法規制を含む）の導入やカーボンプライシングの強化が必須要件である。また、もし法規制が導入されたとしても、ボリュームがまとまるまでの痛みを限られた民間企業が背負い続けるのは限界があるため、脱炭素社会への移行を実現するためには補助金などの支援も必要である。もちろん、企業のコストダウン努力や消費者の理解なども必要である。私の経験も踏まえ、各ステークホルダーが取り組むべきことは、概ね以下のように整理される。ステークホルダー国・明確かつ現実的な脱炭素規制の導入・関連規制の複雑性の解消・カーボンプライシングの強化・移行を可能にするための補助金の導入・許認可プロセスの合理化・インフラ整備の促進・水資源利用の支援など水素生産事業者・適切な事業計画の策定・純水生産や水電解などの技術および量の確保・再生可能エネルギー事業者との提携ないし垂直統合・安全かつコスト競争力のあるサプライチェーンの構築・（アンモニアをキャリアにする場合）アンモニア分解の技術の確立・水素ハブの形成（アグリゲーター化）を含むオフテイカーの獲得・補助金を活用しつつ依存しないコストダウンの推進など流通事業者・国や企業が計画している水素プロジェクトを踏まえた安全で信頼できる水素インフラの整備（その計画の策定と公表） などイネイブラー・より安価で高効率な、オンサイト／ニアサイト／オフサイトでの水素生産／活用を可能にする設備や機器の確立（純水製造装置、電解装置、タンク、燃料電池、EMS、水素ボイラー、FCEVなど）オフテイカー・規制動向のモニタリングと見立て・自社が目指すべき姿の見極め・適切な移行計画の策定・準備の推進・移行タイミングの見極め・水素生産事業者との協力による有効なサプライチェーンの構築・需要家側インセンティブの政府への働きかけなどその他・正しい情報の提供および国民の理解の醸成など Strategy&|水素エコシステム実現への道筋主な取り組むべきこと 結語カーボンニュートラルの必要性は、CO2をはじめとする温室効果ガスと地球温暖化は関係ないという科学的な根拠が示されない限り否定困難であり、「脱炭素は来ないから対応しない」と意思決定できる経営者はなかなかいないだろう。一方、水素については、コスト高という前提を乗り越えなければならないがゆえに問題が複雑化し、時間軸を読みにくいという難しさがある。だからこそ、自社が目指すべき姿を見極め、適切な移行計画を策定し、準備を進め、移行タイミングを見極め、適切な事業化を実現する企業が、脱炭素社会でのポジションを獲得することになるだろう。本レポートが、読者の参考になるとともに、脱炭素社会実現の一助になれば幸いである。 Strategy&|水素エコシステム実現への道筋PwCコンサルティング合同会社Strategy&ディレクター赤路陽太 赤路陽太（あかじ・ようた）PwCコンサルティング合同会社、Strategy&のディレクター。エネルギー産業、自動車産業、情報サービス産業に精通し、新事業開発、事業戦略、事業変革、デジタル、Go to Market、サステナビリティなどのテーマについて豊富なコンサルティング実績を有する。有識者としてメディアや産業団体などからの取材、セミナー登壇など多数。デンソー、リクルート、複数のコンサルティングファームを経て現職。執筆者について監訳者についてDirk Niemeierは、ミュンヘンを拠点とするStrategy&のディレクターであり、クリーン水素・代替燃料部門のリーダーである。エネルギーセクター、製造業、モビリティ業界のクライアントを対象に、脱炭素関連の市場やビジネスモデル、戦略開発、企業変革のサポートを担う。Dr. Daniel Haagは、Strategy&のディレクターであり、シュトゥットガルトを拠点に、工業生産と運輸・ロジスティクスのESG（環境、社会、ガバナンス）リーダーを務める。輸送・ロジスティクスと工業製造業のクライアントの戦略、オペレーション、サステナビリティ変革に注力している。Florian Schäferは、Strategy&のシニアアソシエイトで、ハンブルグに拠点を置く。クリーンエネルギーソリューション、特に水素と持続可能な燃料に注力。エネルギーおよび産業製造セクターのクライアントに対し、持続可能な市場参入戦略や、エネルギー転換の一環としての新しいビジネスモデルの開発をサポートしている。Marie H